CALENDAR
S M T W T F S
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728   
<< February 2018 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
MOBILE
qrcode
<< 「整体セラピスト養成コース」って、こんな感じです! | main | 6/29(日)『快医学祭』で淨潤先生が!! >>
「治してもらう」ということ
0
    左足首を捻挫した。捻挫なんて、何年ぶりだろう。
    私の中にあるどんな無意識が(体が)この状態を引き寄せたのだろう。
    捻挫後、いろいろなところがうごめきだした体を感じながら、
    それを、感じようとしていた。
    翌日は、先生の操法の予約を入れていた。
    (予約をしたのは、もう一カ月くらいも前のこと。
     でも、それがあったがゆえに、私の無意識は安心して、その日を選んで足をくじいたのかもしれない)

    先生の操法を受けた後、うまくうごけなかった左足が、軽やかに、何事もなかったような
    状態になった。それは、ほんとうに、驚くほどに。
    一回の操法でこんなに変わってしまうなんて・・やっぱり、先生は、すごいんだな・・
    しみじみと思いながら、帰路に着く。

    それにしても・・・わたしは、先生に「治して」もらったんだろうかと、ふと、考える。

    多分、先生は、治そうとはされていなかったのではないかと思う。
    私にも、治してほしい、という気持ちは、なかった。

    なにかひとつ変えたくて、どこかを動かしたくて、捻挫という事態を引き込んだと体感していたから。
    今の私に必要だから、これが起こっているはずだから。
    必要な分だけ時間をかけ、そして見守りたいと思っていた。

    操法する側もされる側も、治したいという意図はなかった。
    でも、その日は、結果的に、「治った」ような状態になった。


    「治った」というのは、どういうことをいうのか・・
    受け手としての意識の持ち方や
    操法を行う側の者としての立処について、改めて向き合ってみたいと思った。



    (永井 晶)
     
    | 永井晶 | 13:08 | - | - |