「治してもらう」ということ

左足首を捻挫した。捻挫なんて、何年ぶりだろう。
私の中にあるどんな無意識が(体が)この状態を引き寄せたのだろう。
捻挫後、いろいろなところがうごめきだした体を感じながら、
それを、感じようとしていた。
翌日は、先生の操法の予約を入れていた。
(予約をしたのは、もう一カ月くらいも前のこと。
 でも、それがあったがゆえに、私の無意識は安心して、その日を選んで足をくじいたのかもしれない)

先生の操法を受けた後、うまくうごけなかった左足が、軽やかに、何事もなかったような
状態になった。それは、ほんとうに、驚くほどに。
一回の操法でこんなに変わってしまうなんて・・やっぱり、先生は、すごいんだな・・
しみじみと思いながら、帰路に着く。

それにしても・・・わたしは、先生に「治して」もらったんだろうかと、ふと、考える。

多分、先生は、治そうとはされていなかったのではないかと思う。
私にも、治してほしい、という気持ちは、なかった。

なにかひとつ変えたくて、どこかを動かしたくて、捻挫という事態を引き込んだと体感していたから。
今の私に必要だから、これが起こっているはずだから。
必要な分だけ時間をかけ、そして見守りたいと思っていた。

操法する側もされる側も、治したいという意図はなかった。
でも、その日は、結果的に、「治った」ような状態になった。


「治った」というのは、どういうことをいうのか・・
受け手としての意識の持ち方や
操法を行う側の者としての立処について、改めて向き合ってみたいと思った。



(永井 晶)
 

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